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最高裁判所第二小法廷 平成8年(オ)454号 判決 1998年7月17日

上告人

山口俊明

右訴訟代理人弁護士

内田剛弘

羽柴駿

渡邉博

被上告人

株式会社時事通信社

右代表者代表取締役

前田耕一

右当事者間の東京高等裁判所平成四年(ネ)第二四七〇号懲戒処分無効確認等請求事件について、同裁判所が平成七年一一月一六日に言い渡した判決に対し、上告人から上告があった。よって、当裁判所は次のとおり判決する。

主文

本件上告を棄却する。

上告費用は上告人の負担とする。

理由

上告代理人内田剛弘、同羽柴駿、同渡邉博の上告理由について

所論の点に関する原審の認定判断は、原判決挙示の証拠関係に照らし、正当として是認することができ、その過程に所論の違法はない。論旨は、原審の専権に属する証拠の取捨判断、事実の認定を非難するか、又は独自の見解に立って原判決を論難するものにすぎず、採用することができない。

よって、裁判官全員一致の意見で、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官 大西勝也 裁判官 根岸重治 裁判官 河合伸一 裁判官 福田博)

《上告理由》

◎上告理由その一

(不当労働行為について)

<略>

◎上告理由その二

(時季変更権行使について)

第一 原判決には判決に影響を及ぼすこと明らかな(昭和六二年法律第九九号による改正前の)労働基準法三九条三項但書(以下、単に「法三九条三項但書」という)の解釈・適用を誤った法令違背があり、破棄を免れない。

一 年次有給休暇制度の憲法上の根拠

1 憲法二七条二項と年次有給休暇制度

年次有給休暇制度は、憲法二七条二項の休息権に基づくものである。世界人権宣言(昭和二三年一二月一〇日、第三回国連総会採択)二四条も「すべて人は、労働時間の合理的な有給休暇を含む休息及び余暇をもつ権利を有する」と宣言して、同じ趣旨を明らかにしている。

わが国も批准、承認し、国内法と同一の法的効力を有する国際人権規約の「経済的、社会的及び文化的権利に関する国際規約」(昭和五四年八月四日条約第六号)もその第七条において「労働条件についての権利」を保障し、第七条(d)に「(ママ)休息、余暇、労働時間の合理的な制限及び定期的な有給休暇並びに公の休日についての報酬と定め、「すべての者が公正かつ良好な労働条件を享受する権利を有することを認める」と明記している。

このような国際条約の誠実な遵守は、憲法九八条(最高法規)の定めるところである。

このように有給休暇制度は、国際労働常識に基づき憲法上の労働者の基本的人権として保障されたものであり、企業の便宜、都合で安易に制限・抑制することは許されず、安易な制約は憲法違反といわなければならない。

2 憲法一三条と年次有給休暇制度

憲法一三条は、「すべて国民は個人として尊重される。生命自由及び幸福追求に対する国民の権利については、公共の利益に反しない限り、立法その他国政の上で最大の尊重を要する」と規定し幸福追求を保障した。

労働者は、余暇を自らの幸福追求のためにも必要とする。有給休暇は、単に労働力の再生産のために必要であるがために企業が法律によって労働者に与えるという矮小化された、消極的な性質のものでは決してない。かっての有給休暇は、労働力の再生産のために不可欠な休暇であるという国家的、社会政策的目的もあったかも知れない。しかし、今日では、もっと積極的に、労働者が人間として、文化的存在として自らの幸福追求のために必要とする条件とされ、憲法の幸福追求権が、これを更に保障するという関係にあると考えられる。

世界人権宣言二七条一項は、この意味を含めて、「すべて人は、自由に社会の文化生活に参加し、芸術を鑑賞し、及び科学の進歩とその恩恵とにあずかる権利を有する」と定める。

労働者が、労働から解放されて、自由な余暇時間を持ち、スポーツに、文化に芸術に、科学に時間を割くことができることを期待し、保障しているということができる。

労働時間が長ければ、そのような人間的生活はできなくなる。人間の幸福追求権は、有給休暇制度を必要とする。

日本の労働者は、欧米からみるとワーカホリック(働き中毒症)といわれる。自らの自由な余暇、しかも長期継続して取れる有給休暇なくして、日本の労働者が文化生活を享受することができないのは、自明の理である。労働者に文化的生活をエンジョイさせるためにも、憲法上の幸福追求権に基づく長期継続の有給休暇は必要なのである。

この権利は、企業の都合や便宜で、恣意的、裁量的に制限・制約(時季変更権行使)されてはならない性質のものであることは当然である。

二 ILOと年次有給休暇

1 ILO五二号条約(一九三六年、年次有給休暇に関する条約)

わが国の労働基準法を立案するのに参考とされたILO条約五二号(一九三六年六月二四日採択、年次有給休暇に関する条約)の中に、次のような定めがある。

(イ) 一年の継続勤務の少(ママ)なくても六労働日の年休権があること(一六才未満の場合は、少なくても一二労働日)、

(ロ) 特別の事情のある場合は、右に述べた所定の最小限度の期間を超える部分の分割を許容すること、そして勤務時間に応じ増加すべきものとすること(二条)、

右にある一年の継続勤務ののち、少なくとも六労働日の年休権のあることという部分は、わが国労働基準法三九条二項に引き継がれているが、ILO五二号条約は昭和一一年のことであり、基準法は十一年後の二二年制定であり、この間に国際労働常識ははるかにすすんでいることに注目する必要がある。

一九三六年六月二四日採択の勧告四七号(年次有給休暇に関する勧告)では、次のような定めがある。

(イ) 一年の勤務ののち取得する年休権ではあるが、数多の使用者の雇用の下に一年を過ごした場合でも、年休権があり、最後の使用者の負担となってしまわないよう有効な措置をとるべきこと(一(三))

(ロ) 休暇の分割は条約の定めの最短期間と他の一回に(つまり分割は二を超えざる部分経(ママ)の分割に)制限されるべきこと(二)

労働基準法制定当時(一九四七年、昭和二二年)からILOの一九三六年の条約・勧告の内容を十分には実現していなかった日本の制度(分割の制限、未成年者への加算、そして八割の出勤を義務づけ雇用者間の通算を認めない、解雇時の手当を欠くなど)は、ILOが一九七〇年条約「一三二号年次有給休暇に関する条約(改正)」を採択したことにより全く時代に遅れたものとなってしまった。

2 ILO一三二号条約(年次有給休暇に関する条約・改正。一九七〇年六月二四日採択)

この条約の内容に次のような定めがある。

(イ) 船員を除くすべての労働者に適用される、一年の勤務について三労働週を下回ってはならない年休権を確立した(三条三項)。

(ロ) 年休取得要件は、六ヶ月を超えない最低勤務期間とされ、一年未満の場合、その年の勤務期間に比例して与えられる(五、四条)。

(ハ) 年休の分割はできるけれども、分割された一部分は少なくとも中断されない二労働週間でなければならない(八条二項)。

昭和六二年の労働基準法の一部改正があったとしてもこの条約と日本の年次有給休暇の実態とはかなり隔たってしまった。この条約に言う、二週間の有給休暇を取ることは、一九七〇年における国際労働常識の最低基準として規定されたものである。その後の世界の労働条件は、さらに進んできている。いわゆる先進諸国の実例が示すところである。日本の労働基準法は、国際労働常識にしたがってさらに改正しなければならない時期にきている。

かねてから、日本の労働者の働きすぎが、輸出超過を非難する欧米諸国からの非難にさらされている。欧米諸国では、労働者に1(ママ)ヶ月以上の長期連続有給休暇(バカンス)が与えられ、社会的に定着している。この事件で、裁判所が、いかなる判断を下すかは、国際的に注目されていると言っても過言ではない。本件に対する各審級の判決に対するマスコミの反響は、いかに注目されているかを如実に示している。

上告人は、手持ちの四〇日間の有給休暇請求権のうち、二二日間を行使したにすぎないのである。これを時季変更権を持(ママ)って一二日のみしか認めなかった企業に軍配を上げ、残り一〇日間の有給休暇の権利を否認した原判決は、到底、国際的批判に耐えられるところではない。

三 年次有給休暇の意義と時季変更権の要件

1 労働基準法の定める年次有給休暇制度は憲法二七条二項の休息権に由来するものであって、「労働者に一定期間の休暇を有給で保障することにより労働者が日頃の従属的労働から解放され、精神的・肉体的疲労からの回復を図ると同時に、文化的・社会的にも人たるに値する生活を営むことができるようにしようとするものである」(長淵満男「法定・法定外年休の法律問題」季刊労働法一〇八号三頁以下)と言われるように、労働者が人として憲法により保障された「健康にして文化的な生活」を営んで行くための時間的条件を、週休制度と並んで保障しているものである。

従ってこの年次有給休暇が実効ある権利として保障されるためには、いつ、何日間、何のために休暇を取るかが全て労働者の自主的選択に委ねられておらねばならず、いかなる理由であれ使用者が介入することを許してはこの制度の存在意義そのものが失われかねないと言うべきであって、いわゆる全労(ママ)林白石営林署事件最高裁判決昭和四八年三月二日(民集二七巻二号一九一頁)が、講学上、時期(ママ)指定権説にたち労働者が年次有給休暇を指定することにより当然に休暇が付与され使用者の承認を入れる余地はない旨判示しているのも、かような制度の趣旨に基づき、企業の運営上の都合よりも休暇請求権を優先させたものとして理解できるのである。

また、我が国が国際社会において経済大国たる位置を占めるに至った今日、労働時間の短縮は単に国内的課題にとどまらず我が国全体の国際社会に対する緊急課題の一つでもある。政府は、本件懲戒処分のなされた昭和五五年当時すでに、欧米諸国に比して我が国の労働時間がなお長いことの原因として週休二日制の普及が遅れていること、有給休暇が少ないこと、残業が長いことを主因としてあげ、勤労者福祉の向上、国際的理解の促進、雇用の増加という三つの観点から労働時間短縮を奨励していた(<証拠略>昭和五五年版「労働白書」二一三頁以下)。

年次有給休暇については、その付与日数が我が国では平均一三・一日であるのに欧米諸国では二〇日を上回る国が多いこと、および我が国ではその消化率が三〇%未満の労働者が三七%もいるのに対し欧米諸国ではほぼ完全に消化されていること、我が国でも欧米と同じく夏期連続集中休暇の取得によりその消化促進がはかられること、なども政府により指摘されていた(同一九九頁以下)。

右の如き状況は、その後より一層その程度を増し、労働時間の短縮は今日では誰も否定できぬ日本社会全体の課題である。

このように巨視的観点からしても、労働者がその年次有給休暇をできるだけ多く消化すること、特に夏期休暇としてまとめて消化することが望ましいのであり、企業としても人員配置その他の条件を整理してこれを積極的に推進・奨励することこそその社会的責任にもとづく現代的課題である。裁判所が法三九条三項但書を解釈・適用するに当たっても、このような社会的要請は十分に尊重されなければならない。

2 法三九条三項は、休暇が「事業の正常な運営を妨げる場合においては、他の時季にこれを与えることができる」旨いわゆる時季変更権を使用者に与えている。事業の正常な運営を妨げる場合」(ママ)とは一般的には「その企業の規模、有給休暇請求権者の職場における配置」(ママ)その担当する作業内容の性質、作業の繁閑、代替者の配置の難易、時季を同じくして有給休暇を請求する者の人数等諸般の事情を考慮して制度の趣旨に反しないように、合理的に決すべきものである」(東亜紡績(ママ)事件大阪地裁判決昭和三三年四月一〇日、労民集九巻二号二〇七頁)と解されているが、右の如き年次有給休暇制度の趣旨及び現代的意義にてらせば、札幌地裁判決昭和五〇年一一月二六日(夕張南高校戒告事件判例時報八〇一号三頁)が、「まず、労基法三九条三項にいう『事業の正常な運営を妨げる』とは、企業又はその一部としての事業場において、ある一定の業務の正常な運営が一体として阻害されることをいうのである。そもそも労働者は日常企業またはその一部としての事業場において、特定の業務を担当しているのであるから、その労働者が休暇を取ることによって必然的にその業務が欠けることになるわけであるが、労基法上の年次有給休暇の権利は、労働者が休暇をとることによって企業運営にある程度の支障を生じることを容認したうえで、それでもなお使用者にその付与義務を課したものと解するのが相当であって、このことは年次有給休暇の権利が憲法二七条二項の休息権に由来するものであることから当然に導き出される結論であるといわなければならない。」と判示しているとおり、休暇によって生ずる通常の企業運営の支障は使用者側において受忍すべきものであって、それを理由に時季変更権を行使することは許されないものと解釈すべきである。

すなわち時季変更権の行使はあくまで例外的に、当該休暇が事業場全体の運営に通常の場合とは異なる特別に重大な支障を生ずると客観的かつ明白に認められる場合に限って許されるものと言うべきである。時季変更権の行使の要件は、企業側の業務阻害の主観的な、恣意的なおそれや発生の蓋然性で足りるものではないのである。

四 原判決の法令違背

1 原判決は、法三九条一、二項及び三項但書の解釈・適用について次の通り判示する。「年次有給休暇の権利は、労働基準法三九条一、二項の要件の充足により法律上当然に生じ、労働者がその有する年次有給休暇の日数の範囲内で始期と終期を特定して休暇の時季指定をしたときは、使用者が適法な時季変更権を行使しない限り、右の指定によって、年次有給休暇が成立して当該労働日における就労義務が消滅するものである。そして、同条の趣旨は使用者に対し、できる限り労働者が指定した時季に休暇を取得することができるように、状況に応じた配慮をすることを要請しているものと解すべきであって、そのような配慮をせずに時季変更権を行使することは、右の趣旨に反するものといわなければならない。」

以上のところは、法三九条一、二項の解釈・適用そして従前の判例に照らしても当然、正当なものといえる。そして、次の解釈も、一般論としては正当である。

「しかしながら、使用者が右のような配慮をしたとしても、代替勤務者を確保することが困難であるなどの客観的な事情があり、指定された時季に休暇を与えることが事業の正常な運営を妨げるものと認められる場合には、使用者の時季変更権の行使が適法なものとして許容されるべきことは、同条三項ただし書きの規定により明らかである。」

ところが原判決は、更に法三九条三項但書の解釈について、次のような論旨を展開している。

「労働者が長期かつ連続の年次有給休暇を取得しようとする場合においては、それが長期のものであればあるほど、事業の正常な運営に支障を来す蓋然性が高くなり、使用者の業務計画、他の労働者の休暇予定等との事前の調整をはかる必要が生ずるのが通常である。しかも、使用者にとっては、労働者が時季指定をした時点において、事業活動の正常な運営の確保にかかわる諸般の事情について、これを正確に予測することは困難であり、当該労働者の休暇の取得がもたらす事業運営への支障の有無、程度につき、蓋然性に基づく判断をせざるを得ないことを考えると、労働者が、右の調整を経ることなく、その有する年次有給休暇の日数の範囲内で始期と終期を特定して長期かつ連続の年次有給休暇の時季指定をした場合には、これに対する使用者の時季変更権の行使については、使用者にある程度の裁量的判断の余地を認めざるを得ない。もとより、使用者の時季変更権の行使に関する右裁量的判断は、労働者の年次有給休暇の権利を保障している労働基準法三九条の趣旨に添う、合理的なものでなければならないことはいうまでもない。」

この論旨は長期(何をもって長期とするか基準が不明である)連続の年次有給休暇請求権に対して、法三九条三項但書の明文にない要件を加えた。時季変更権の行使の要件としての「事業の正常な運営を妨げる」要件の解釈・適用において、事業の正常な運営を妨げる「蓋然性」を肯定し、労働者の側における「事前の調整」という法の明文にない要件を解釈・適用で導入し、労働者の長期連続有給休暇請求権の行使を閉塞させる結果を招いている。

労働者の長期連続の年次有給休暇取得が、国際的にも国内的にも緊急の時代の要請として、サミット参加先進国として期待されているにも拘わらず、時代の要請に逆行してこれを制約し事実上、そのような有給休暇の取得を禁圧する効果を来している。

このような法三九条三項但書の解釈・適用は法三九条の労働者の年次有給休暇取得の権利(憲法二七条二項、法三九条一、二項)の法意を著しく無視し、これを否定する解釈といわなければならず、法解釈・適用の重大な誤りをおかしており、原判決には法令違背がある。

2 原判決は連続長期有給休暇は、事業の「正常な運営に支障を来す蓋然性が高くなり」という。

しかし、事業の正常な運営に支障を来す蓋然性は、事業場により休暇の短期、長期を問わず、有給休暇取得に伴い常にありうる。繁忙期にあっては、短期休暇でも業務の正常な運営に支障を与える蓋然性があり、暇な時期には長期連続でも、そのようなことはない。事業の正常な運営に蓋(ママ)然性があることを理由に、時季変更権行使の適法性を認めるとなれば、労働者の有給休暇請求権の保障は、画餅に帰するといわなければならない。

労働者が、年次有給休暇の請求をした場合、使用者に、「できるだけ労働者が指定した時季に休暇をとれるよう状況に応じた配慮をすることを要請し」ている(最高裁昭和六二年七月一〇日第二小法廷判決、弘前電報局事件)という判例の立場からも、唯、長期、連続であるからという理由だけで事業の正常な運営を害するという解釈に「蓋然性」の概念を導入することは、法の解釈の拡大であり、誤りである。

3 原判決は、長期連続有給休暇請求について「事前の調整」という概念を導入した。原判決は「使用者の業務計画、他の労働者の休暇予定などとの事前の調整を図る必要が生ずるのが通常である」という。

この「事前の調整」という概念は極めて曖昧である。この「事前の調整」は労使の何れかの負担かといえば、長期連続有給休暇を請求した労働者の側において事前の調整義務を負わされたと解釈される。何故ならば、労働者が「右の調整を経ることなく、その有する年次有給休暇の日数の範囲内で始期と終期を特定して長期かつ連続の年次有給休暇の時季指定をした場合には、これに対する使用者の時季変更権の行使については、使用者にある程度の裁量的判断の余地を認めざるを得ない」と続いているからである。

法三九条のどこにも「事前の調整」の言葉はない。原判決が法の明文にない「事前の調整」という概念を導入してまで、労働者の長期(意味が曖昧である)連続有給休暇の請求を抑制しようとしたことは、法三九条の法の精神を踏みにじるものといえる。

更に付言すれば、「計画年休」が導入されたのは、昭和六二年労働基準法一部改正により、法三九条五項を新設したことによるもので、本件係争にかかる有給休暇請求事件は、この法改正前であることに留意する必要がある。

新設の法三九条五項が設けられた後においても、企業と労働組合(労働者の過半数で組織する労働組合か過半数の労働者を代表する者)との計画年休協定が締結されていなければ、労働者の側に、時季指定を伴う有給休暇請求権(自由年休)が留保されていること法改正前と同様に変わりはないのである。

原判決は、昭和六二年の法改正を先取りしてしかも恣意的・違法に法三九条三項但書の解釈・適用に反映させた傾向が窺われる。

4 本件の差戻前控訴審判決(昭和六三年一二月一九日、東京高裁第三民事部判決判例時報一二九六号三二頁)は、法三九条三項但書の解釈・適用に当たって、長期連続有給休暇は、事業の正常な運営を妨げる「蓋然性」があるとか、かかる有給休暇請求をなす場合、労働者の側において「事前の調整」を必要とするという法定外「要件」を創出する愚をおかしていない。

差戻前控訴審判決は、科学技術記者クラブへの上告人の単独配置という人員の不適正配置の結果まで労働者が受忍しなければならないものではないと判示している。本件の場合の人員の配置の不適正は常勤が上告人一人のみで、他に常勤がいないばかりでなく、非常勤すら一人も他に配置しない異常な記者配置であることに注目しなければならない。この点、原判決は「異例の人事配置ではなく、…企業経営上のやむを得ない理由によるものであり、年次有給休暇取得の観点のみから控訴人の右単独配置を不適法と一概に判定することは適当でない」(二六丁裏末尾から二七丁表)と論じている。しかし、被上告人会社の官公庁などの記者クラブで主だったところで常勤一人の配置は異常で存在せず、仮に常勤は一人でも必ず非常勤を一人以上加えて配置する体制をとっていた。(<証拠略>参照)。科学技術記者クラブが原発事故などを扱って重要な記者クラブであると被上告人が主張するならば、常勤を二人以上配置すべきであるし、もしできなければ非常勤を併せて配置することはできたはずであり、事実、上告人が昭和五三年四月同記者クラブに配置される直前の時期では常勤二名、非常勤一人もいたのであった。(<証拠略>参照。昭和四九年一一月頃では常勤三人、非常勤一人、同五〇年五月頃では常勤三人、非常勤一人がそれぞれ配置されていた。<証拠略>参照)。

「事前の調整」の意味も曖昧である。当該労働者が直属の上司と「調整」することなのか、職場の同僚と各人の有給休暇の時季について「調整」することなのか、あるいは双方なのか、職場についてもどの範囲を想定するか(「事業の正常な運営を妨げる」という法三九条三項但書にいう事業場なのか)、もし上司との「調整」を要件とするならば、上司が、「都合がつきにくい」といつまでも明確な配慮を回答しないかぎり労働者の時季指定はできなくなってしまうのではないか等、疑問はいろいろある。このような曖昧な概念をそもそも労働者の有給休暇請求権という権利の取得を左右する企業側の時季変更権の要件に導入することが果たして許されることなのか深刻な疑問が存在する。

「事前の調整」の必要性は、有給休暇に入る前であることは明らかであるとしても、労働者が有給休暇の時季指定をする前に義務づけるとすると、前述の通り会社側の労務・人事担当者がよほど労働者の有給休暇請求権に理解があって、更に他の職制や労務・人事担当者とのトラブルが生じても自分で責任をかぶるほどの気概と配慮がないと現実の我が国の事業場の現場では容易に長期連続有給休暇は取れないことになってしまうことは火をみるよりも明らかである。これでは、法三九条の法意が無視・蹂躙されることになり、法解釈・適用の誤りというべきである。

5 法三九条三項但書の法解釈の適用は労働者に完全な有給休暇請求権の取得を前提としてなされなければならない(法三九条一、二項の法意)。

本件、被上告人の時季変更権が適法であるとすると、上告人は一年の年間で職場が最も業務が少ない時期を選んで有給休暇請求をしたのであるから、他の時期に被上告人の主張する後半二週間の有給休暇を取得することははるかに被上告人の業務の正常な運営を阻害する「蓋然性」が強く、到底あらためて残りの有給休暇を取得することはできなくなり、被上告人の本件時季変更を適法とすることは結局、上告人の有する残りの有給休暇請求権の取得を否定することと同じである。

本件差戻前の控訴審判決は、この点、次の通り指摘する。

「一般的に時季変更権の行使は他の時季における年次有給休暇の完全消化が可能であることを前提とするとみるべきところ、本件のような時季変更権の行使を許容するときは、控訴人が、その有する年次有給休暇を完全消化することができないことにつながる。」

法三九条三項但書の解釈・適用に当たっては、このような配慮なしに無責任な解釈・適用をすべきでない。

仙台地裁昭和六〇年四月二五日、仙台中央電報局事件判決(労働判例四五三号八七頁)は、「使用者は、本来、予想される業務量としても直ちに事業の正常な運営に支障を来さないだけの人員を配置しておく義務を負担しており、その上で、事前予測の困難な事態の発生など特別な場合にはじめて時季変更権の行使が許される」と述べている。適切な判断である。法三九条一、二項の法意を生かした解釈である。

6 原判決の判示した法三九条三項但書の解釈・適用は、最高裁第三小法廷、平成四年六月二三日判決民(ママ)集六巻四号(ママ 四六巻)三〇六頁)によると推定される。

右、最高裁第三小法廷判決は、本件の事例であるが、法三九条三項但書の解釈・適用に、長期連続有給休暇の場合、事業の正常な運営を妨げる「蓋然性」があるから、「使用者の業務計画、他の労働者の休暇予定等との事前の調整を図る必要が生ずる」との論旨を展開している。

しかし、この判決は「時代に逆行する夏休み訴訟最高裁判決」と評され、学会から厳しく批判された。例えば、『だが、年休権という労働者の権利に関して、それと直接的な対抗関係に立つ使用者(特に本件の場合、私企業である)に、「ある程度」とはいえ、「裁量的判断」を認める(このことは使用者に有利に働く可能性が大きい)のは問題である。また「長期」かどうかを区別する基準が不明確な点も実務上困難を強いるであろう。』

「事前の調整」ということについても、

『しかし、本件のような自由年休に限っていうならば、こうした「事前調整」については、法律上何ら規定がないし、また計画年休とは異なり、実務上それが必然的なものでもない』

『「合理性」の判断 最高裁判決の論理によれば、時季変更権行使の正当性のチェックにあたって重要なのは、裁量的判断の「合理性」であるが、その判断基準についてはなんらふれられていない。』(以上、名古道功、「時代に逆行する夏休み訴訟最高裁判決」法学セミナー一九九二年一〇月号二〇頁)と労働法学者によって批判されている。

鋭い指摘である。

原判決は、右最高裁判決を安易に下敷きにして判示したものと推測されるが、学者の右懸念は、間もなく不幸にして実現された。

本件上告人が、平成四年六月二三日右最高裁判決を受けた年の夏、八月、同じく約一カ月の長期連続有給休暇の請求をなし、いったん、職場の直属の上司が承認していたのに、休暇に入ったあと時季変更権の行使をされたあげく、本人の事情聴取もなく、就業規則に基づいて懲戒解雇処分にされた(<証拠略>)。

右最高裁判決が労働者の長期連続有給休暇請求に対しては、使用者に時季変更権行使の裁量的判断が与えられるとしたため、使用者側は、この裁量的判断を濫用して上告人に対して時季変更権を行使した上、(それもすでに有給休暇に入った後)従わなかったからといって本人の事情聴取もしないで、いきなり懲戒解雇処分にしたのであった。

この乱暴な懲戒解雇処分(係争中)は、右最高裁判決を濫用した被上告人に直接の責任があるとしても、このような機縁を与えた右最高裁判決にも責任がないとはいえないのである。労使の緊張関係のある事業場の職場においては、使用者の時季変更権行使の裁量的判断が、どのように行われるものかを知らしめる一実例というべきである。

右最高裁判決も、原判決も、使用者の時季変更権行使に関する裁量的判断は、労働者の年次有給休暇の権利を保障している労働基準法三九条の趣旨に従う合理的なものでなければならないことはいうまでもないと使用者の裁量的判断に一定の歯止めをかけているが、果たしてこれが歯止めになるかどうかは、上告人の具体的事例にみられるように歯止めになっていないことが明白である。問題は、使用者に裁量的判断権を与えた右最高裁判決や原判決の法令解釈・適用の誤り=法令違背にあるのである。

7 原判決の基礎となった最高裁第三小法廷判決と差戻前控訴審判決と対比すれば、差戻前の高裁判決の方が遥かに世間一般や専門の労働法学者から好意的に評価されていた。

差戻前高裁判決が言い渡されると、内外の各新聞や通信社、テレビ、ラジオ、週刊誌などはこぞってこれを取り上げて報道した。その報道姿勢は、「“休めない休暇”に一石」(朝日新聞同月二〇日朝刊)、「我が国労働者の“働き過ぎ”が欧米各国の批判の的となり、官民上げて時短論議が高まっている折から労働者の“休暇をとる権利”を尊重し、会社側の年休に関する『時季変更権』の行使に厳しい枠をはめたものとして注目される」(読売新聞同日朝刊)、「安易な時季変更戒める」(日本経済新聞同日朝刊)、などといずれも原判決の意義を積極的に評価する姿勢で共通していた。テレビ、ラジオのニュース番組も同様の姿勢であった。

また、言い渡しの後数日内に公表された各新聞の社説類も、「時季変更権の行使に慎重さを求めた点は評価したい」(朝日新聞同月二一日夕刊「窓」)、「国際的な批判の中、労基法改正で労働時間短縮への流れにやっと乗ったわが国で、この判決は使用者側への厳しい警告と受けとめるべきである」(東京新聞同月二一日朝刊「社説」)、「理念としては地裁よりも高裁判断の方が正しい」(産経新聞同月二一日朝刊「主張」)、「判決の意義は大きく、時間短縮を促進するのは間違いない。他の一般企業も、判決を厳粛に受け止め、権利乱用のないようにすべきだろう」(「日本経済新聞同月二二日朝刊「社説」)、などといずれも差戻前二審判決の判断を基本的に正当視するものであった。

このように差戻前二審判決に対する一般社会の評価は極めて好意的なものであったが、学会からの反応も同様である。

まず和田肇名古屋大学教授(当時助教授)は、「本判決の理解には、本件が1(ママ)ケ月という長期休暇の取得の可否について争われた最初の事件であることを考慮する必要がある」と、本件には従来の最高裁判例法理はそのままでは適用できないことに注意を促した上、そのような本件の新規性の故に「『事業の正常な運営を妨げる』かどうかの判断についても、従来の判例の判断枠組みを修正せざるをえなくなる」ことを指摘し、その修正の理由として、「労働者の長期休暇がほとんどの場合事業の運営に重大な支障を及ぼすことは明らかであり、したがって、長期休暇の取得には従来の短期の休暇の取得に対するのとは異なった対応あるいは人員配置が使用者に要求される」こと、更に「事業運営の支障の判断も単に指定された時季における支障だけでなく、他のそれと代わり得る時季における支障の程度との比較も必要となる」こと、を挙げる。そして、結論として、「本判決は、今後一般化してくると思われる長期休暇について、それを許容する理論的枠を初めて与えたものとして積極的に評価できよう」と、差戻前二審判決を高く評価している(「一ヶ月の夏期休暇請求と時季変更権の行使」ジュリスト九二七号六〇頁以下)。

次に中嶋士元也東海大学教授は、差戻前の一審判決と二審判決の理論的相違点として、第一に使用者側に労働者の年休を完全消化せしめるよう配慮する義務を認めるかどうか、第二に使用者の人員配置の裁量権が年休制度の存在により制約を受けるかどうか、についての立場の相違があることを指摘した上で、「理論的には明らかに差戻前二審の方が優れていると思います」と、明確に差戻前二審判決の理論上の優位を認める。また事実認定についても、「今まで複数配置であったものを単独配置にしているという事実」や、「原子力事故勃発の際の暫定的な取材、送稿といったものは、経済部所属の原子力関連記者、地方記者によっても可能であることは(差戻前)一審ですらも認めており、特に原子力関連記者に関しては、委員会という組合を通じて代替の申し入れさえ行っている」こと、したがって、「部が違ったとしてもやらせて悪いということはないのですし、夏休みでいわば臨戦態勢ですから、その時にまで経済部は代替しないのだというところだけに限っては伝統を守ろうとしてもおそらく通用しない」ことなどを指摘し、結論として、「私は、結果(ママ)的には二審を支持したい」と原判決に賛同している(「長期休暇と時季変更権の行使」労働法学研究会報一七二四号一頁以下)。

以上の如く学会の原判決に対する評価も、世論と同様にこれを支持するものであった。

原判決は結論的に差戻前一審判決に逆戻りしてしまう判断を下した。労働条件をめぐる国際的国内的条件の変化や学会の批判にあえて逆行した判断を示したのである。

8 世界人権宣言二四条、国際人権規約(社会権規約)七条(d)、憲法一三条、二七条第一項、年次有給休暇に関するILO条約(一三二号条約等)に基づく労働者の有給休暇請求権の保障は、使用者の便宜や都合、裁量的な時季変更権の行使によって阻害されてはならない基本的人権である。

仮に原判決の立場に立っても、被上告人に、裁量権行使の乱用があり、この違法を黙認した原判決には、法三九条三項但書の解釈・適用を誤った法令違背があり、破棄を免れない。また、原判決の論旨と同旨の最高裁第三小法廷平成四年六月二三日判決も変更されなくてはならない。後記第二の四の経過にみるように「事前の調整」をする期間が十分にあったのに拘わらず上告人の要望や上告人の属する労働組合の提案にも耳を貸そうとせず、被上告人の側において「事前の調整」を拒否している場合は、仮に長期連続有給休暇取得にあたって、「事前の調整」を要件とする原判決の法三九条三項但書の解釈・適用の立場に立ったとしても、その責を労働者(上告人)に負わせるのは酷で公平上許されず、被上告人がその責を負うべきであり、本件時季変更権の行使は不適法とすべきである。

原判決も「使用者の時季変更権行使に関する裁量的判断は労働者の年次有給休暇の権利を保障している労働基準法三九条の趣旨に沿う合理的なものでなければならないことはいうまでもない」という。

被上告人はこの裁量権を乱用していて違法であり、時季指定権の行使は無効である。

第二 原判決には時季変更権行使について判決に影響を及ぼすこと明(ママ)らかな経験則(採証法則)の解釈適用を誤った理由不備、理由齟齬があって、原判決は破棄を免れない。

原判決は、被上告人の本件時季変更権の行使を適法と認めるについて三つの理由を挙げているが、何れも経験則(採証法則)の解釈を誤った理由不備、理由齟齬があって、原判決は破棄を免れない。

一 専門記者性

1 原判決は上告人が担当する職務は、原子力の事故が発生した場合の事故原因や安全規制問題等についての技術的解説記事であるとし、「その取材活動、記事の執筆には、ある程度の専門的知識が必要であり、控訴人も、昭和五五年八月当時には、右担当分野につき、担当(ママ)の専門的知識、経験を有していたことから、社会部の中から控訴人の担当職務を支障なく代替しうる勤務者を見いだし、長期にわたってこれを確保することは相当に困難である」とする。

このように、原判決は上告人の専門性と非代替性を強調する。

しかし、上告人自身、学歴、経歴からいって、大阪外語大学ロシヤ語科出身であり、科学部門の何れについてもズブの素人である。上告人は、科学技術という特殊分野についての専門記者として他の一般記者の及ばない能力を有するもの(あるいはその候補者)として採用もしくは養成された記者ではなく、あくまで他の記者と同じ条件で採用され、スポーツ、経済、外国特派員という各分野に配属され、これまでも他の一般記者と同様に処遇されてきたものである。(<証拠略>)

被上告人は上告人を専門記者たらしめるために特別な採用、養成、処遇制度を設けることもなく、上告人の専門性を評価するが故に特に給与を上げる等の負担をしてきてもいない。そうである以上被上告人は上告人に対し、他の一般記者以上の専門能力や担当業務に対する専念を要求しうる立場にはない。

原判決は右のような実情を全く考慮に入れず、上告人の担当分野の特殊性、専門性を強調し、その上に立って、上告人の専門性の故に代替要員がいないから長期休暇をとらせない、という対応をしているのであり、その不当なことは言うまでもない。

もし被上告人においてそれ以上の、文字通り専門家向けの解説記事や論文の類を必要とするならば、そのような専門記者として理工系大学出身者を採用し、養成し、社会部とは別に科学部ないし科学班を設けてその専属とし、給与等においても一般記者より優遇するなどの措置をとるべきであろう。ところが、被上告人は、少なくとも、本件有給休暇請求が問題にされる昭和五五年頃までには何ら科学部門の専門記者の養成の措置をしてこなかったのであった。それどころか後任の社会部長の三橋清二がその陳述書(<証拠略>)において、このような「科学技術の取材経験のない記者を科技庁に配置しても、それなりに仕事をこなしており、『専門性』の故に応援を頼むということは今までありませんでした(ただしそれは、応援を頼むほどの専門的取材案件がなかったからだと思います)。」(<証拠略>)と述べているところから、いかに被上告人の主張が便宜主義的であるかが明瞭である。

2 この専門性と非代替性につき関口実証人(本件休暇請求当時、社会部長)は、昭和五五年当時科学技術記者クラブをカバーできるのは上告人の他、田中里見記者しかいなかった旨証言したが(<証拠略>)、反対尋問の中で同証人の言う専門性とは単に、「警察関係、あるいは司法関係の記事に慣れ親しんでいる者からすればやはりこれは格段に技術的専門的な領域」(<証拠略>)であるというにすぎないことが明らかとなり、更に、昭和五六年の敦賀原発事故を社会部として中心になって取材したのが上告人でも田中でもない海津記者(本来の担当は国税庁などで、科学技術とは無関係。<証拠略>)であり、遊軍の荻原記者であったことが暴露され、同証人も渋々ながら、海津記者と荻原記者の書いた記事に問題はなかったことを認めるに至った(<証拠略>)。この海津も荻原も、共に昭和五五年当時も社会部員である(<証拠略>)。

代替記者の解説記事が上告人の書くそれに比して仮に被上告人の期待する「深み」(その意味内容は明らかでないが)に欠けたとしても、それは被上告人が受忍すべきものであって、一記者たる上告人が負担させられる筋合いはない。前述の通りそれは上告人の休暇により通常生ずべき支障にすぎないからである。

なお、原判決が強調するこの分野の「記事の解説」なるものは、実は上告人自身、昭和五三年に科学技術記者クラブ配属以来今日までの間に原子力事故関係ではわずか二~三件しか送稿したことがない。

解説記事なるものは事故の第一報のような速報性を必要とされないところであるが、上告人は本件休暇取得に際し、被上告人に対し休暇中の連絡先を明らかにした上、原発事故など緊急の場合は急ぎ帰国する旨伝えて出発しており、もし休暇中に事故などが発生したとしても、帰国してから専門的「解説記事」を書くことも可能だったのである。この点でも原判決の判断は誤りである。

具体的にいって、科学技術記者クラブへの各社の記者の担当期間は、仮に専門性を要求される部署であれば比較的長期間と錯覚されるが、実は、普通は一年で交替し、長くて三年、ひどいところでは数カ月で交替するというのが大新聞社でも実態であり(<証拠略>)、むしろとくに専門性を要求されていないともいえるのである。

二 代替性

1 代替性について言えば、上告人自身が外国語大学出身であり理工系には素人同然であったが科学技術記者クラブに配属されてどうにかこうにか工夫しつつ始めから記事を書いてきた者である(先輩記者の鉄川氏と席を並べたのは半年間だけである)。つまり極端に言えば、「いかなる記者も原告に代替しえないとは言えない」のである。

このような記者たる者の職務の性格については、日本テレビの記者である倉沢証人が次のように明解に証言している(<証拠略>)。

倉沢証人によると、日本テレビには、前年まで遊軍記者という者がいたが、もういない、遊軍記者の仕事とは、何か突発的な事故が起こったとか、息の長い企画とか、切り口を決めて取材するといった、各クラブの仕事として馴染まない仕事をする、原発事故が起こればその一部は物理、化学の専門的知識がなくても遊軍記者の担当になる、自分は理科系でないから分からないということはいえない、仮に物理、化学が専門の記者でも明日から政治担当になれといわれれば記事を書くのが記者というものであると証言する。

代替の問題では、自分が科学技術記者クラブに属していて、休暇を取る場合、同じ霞ヶ関の近くの外務省とか文部省の記者クラブの記者がカバーするのが常識である。

次に、次のような問答があったことに留意して頂きたい。

「この裁判では山口さんの休暇中の代替要員のことが問題になっているわけですが、会社側にいわせると、非常に専門性を必要とする分野なので社会部の記者なら誰でもかわれるというものではないのだというような主張が出ているのですが、そういうことを聞いてあなたとしてはどう思いますか。

もしその代替がきかないのだったらある特定の人がいなければ特定の分野の記事が書けないということになるわけで、これは通信社だけではなくて新聞社にしてもテレビ局にしても非常に驚くべき事態といったほうがいいのではないかと思います。日本テレビも時事通信社や外の通信社からも配信を受けていますが、ある特定の人がいなければ特定の分野が出稿されないということになると、やはりこれは由々しき事態といって然るべきだと思います。

あなた自身の経験からしても、その分野については経験がないとか、知識がないというような弁解は許されないわけですね。

はい、許されません。私自身そういう経験は何回もあるし、例えば文部省に勤務させられたらその当日に、その中教審の報告書というのが出たわけですが、私としては全く教育問題というのは分からなかったのですが、とにかく一日のうちにできる限りやらざるを得なかったわけです。それと正に同じことだと思うわけで、こういう職業に入ったからにはそういう言い訳は全く許されないというのが少なくとも私らの常識です。」(<証拠略>も同旨)。

会社は違うけれども、同じマスコミ、マスメディアの記者として、しかも同じ科学技術記者クラブに在籍していた記者としての、この職務分野の実際についての貴重な証言であった。

また、被上告人社内文書(<証拠略>)は、「職場の協力で何とか仕事をカバーしうるということなら、長期休暇をとって海外旅行という希望をかなえてあげて結構です」と、会社自ら各部門、部内の相互協力を認めている。(この「職場の協力」とは、単に同一部内にとどまらず、日常的に行われている部間協力を含むものである)。

尚、安江良夫証人(本件休暇請求時の総務局労務部長)は、原子力関係専門記者である鉄川記者が休んだ際のカバーを経済部記者である自分がしたことを認めている。(<証拠略>)。

このように原判決のいう上告人の担当についての専門知識の必要性、代替性は明らかにマスコミ記者の実態を無視した経験則、(ママ)違反の事実認定である。

2 時季変更権行使の要件たる「事業場」とは、本件の場合、社会部だけに限定するのではなく、同一社屋内で業務を行っており、社会部と人的交流があり、取材分野も共通する経済部、政治部などを含めた第一編集局(総数三八七名、<証拠略>)として見るべきであり、従って、社会部の構成員数のみを取り上げて論ずることは相当ではない。

被上告人の社内、とくに第一編集局内において部間協力が日常的に行われ、被上告人からも奨励されていたこと、被上告人が複数の部の記者を配置している記者クラブにおいては一つの部の記者に差支えがあるときは、他の部の記者がそのカバーをすることが日常的に行われていたことは、原判決もこれを認めている。(<証拠略>)。

原判決は、続いて、勝手に「しかし、長期欠勤や長期出張等で一箇月近くもクラブ記者が取材活動を行えないような場合に他の部の記者が代替した事例はなく、そのような長期代替はその記者の所属部において賄うのが慣例であった」と論断しているが、部際協力の実情を示す事実としては、経団連占拠事件における経済部記者の働き(<証拠略>)、休暇中の取材(<証拠略>)、地方記者による原子力発電や科学技術分野に関する記事(<証拠略>)、経済企画庁担当の経済部記者である中村証人がひんぱんに政治部記者や内政部記者と連絡を取り合って協力して取材に当たっていること(<証拠略>)、など枚挙にいとまがないのであるが、この実態は、被代替者の休暇期間が長期か短期かによって区別、差別されているわけではなく、短期休暇であろうと、長期休暇であろうと、部間協力の実体に違いはないのである。勿論、同じ所属部の他の記者が応援し、カバーすることが望ましいが、他の部との間の部間協力も当然期待、奨励されていることに変わりはない。

なお、被上告人は、クラブ詰め記者が長期間休んだ場合、代替記者がその期間当該クラブに詰め、フルカバーする必要があると裁判所に誤解を与えかねない主張をするが、マスコミ現場では右のようなフルカバーは各社とも例外的にしか行っていない。通常は、クラブで記事になり得る会見や発表がある時だけ、体の空いている記者がその都度カバーするのであり、被上告人会社でも以前から一貫してそのようなカバー体制を敷いてきた。上告人が平成二年(一九九〇年)、同三年(一九九一年)の夏、約一カ月の休暇を取った際も、被上告人会社のカバー体制はこのようであり、この間、通産省記者クラブ社会部分室を対象とした発表が行われた際、これをカバーしたのは同記者クラブ詰め経済部記者であった。

原判決の認定は、上告人の休暇中のカバーを敢えて困難ならしめるための企図に著しく事実の歪曲があったといっても過言ではない。

3 本件休暇中のカバーについては、上告人の属した労働組合(労働者委員会)が、昭和五五年八月一八日の被上告人との団体交渉で、上告人が一カ月休んでも具体的に応援、カバーできるということを被上告人に提案し、申し入れている事実がある。

通産省担当でエネルギー問題を扱っていた岡正美記者、エネルギー記者会で民間サイドから原子力問題を担当していた中村克記者、大野興宣記者の三人(何れも当時すでに第一線のベテラン記者たちばかりであった)の名を具体的に挙げて、心配ないことを説明した。被上告人はこの申し入れ、提案を受けて検討するということであった。岡記者は、通産省へ行く前には、エネルギー記者会に二年間いて原子力を担当していたし、引き続きエネルギー問題をカバーしていた。エネルギー記者会の中村、大野両記者も、その当時の原子力問題を担当する記者で、上告人をカバーするには誠に万全の体制の提案であった(<証拠略>)。

続く八月二〇日の団体交渉にて、組合が、前回のカバー体制に対しての会社の検討結果を聞いたところ、応じられないということであった(<証拠略>)。

通産省と科学技術庁とは、その間、徒歩三分ぐらいの距離で、通産省の記者が科学技術庁の取材をするのはいとも容易なことであったのに、明白な、納得できる何らの理由なしに「応じられない」という態度を被上告人がとったということは、その時点で、すでに是が非でも上告人の一カ月の本件休暇請求を認めない、拒否するという頑なな方針を被上告人がとっていたということである。

通産省記者クラブから岡記者が、エネルギー記者会から中村、大野記者が、上告人の科学技術記者クラブの応援に行くことによって通産省記者クラブの業務に支障が生ずるかといえばそんなことはない状態であった(<証拠略>)。にも拘わらず、被上告人が上告人の属する労組の申し入れを拒否してまで、上告人の希望する休暇請求を拒否したという事実は、実体は、科学技術記者クラブのカバーができないから拒否したのではないことを明白に示している。問題は、上告人の一カ月の本件休暇中のカバーができるかどうかではなかったのである。カバー体制は具体的に、労組側からも関係者の同意を得て提案されていた。にも拘わらず、被上告人が時季変更権を行使したのが偽らざる真相なのであった。結論が先にあり、理由付けは後からであったのである。

三 記者配置の不適正

1 原判決は、科学技術記者クラブへの被上告人の記者配置(常勤が上告人一人のみで非常勤は一人もいない)は不適正とはいえないとして次のように述べる。

「当時、被控訴人の社会部においては、外勤記者の記者クラブ単独配置、かけもち配置がかなり行われており、控訴人が右記者クラブに単独配置されていることは、異例の人員配置ではなく、これは、被控訴人が官公庁、企業に対する専門ニュースサービスを主体としているため、新聞、放送等のマスメディアに対する一般ニュースサービスのための取材を中心とする社会部に対する人員配置が若干手薄とならざるを得なかったとの企業経営上のやむを得ない理由によるものであり、年次有給休暇取得の観点のみから、控訴人の右単独配置を不適正なものと一概に断定することは適当ではない」(二六丁裏、二七丁表)。

先ず、指摘しなければならないのは本件の「単独配置」の異常性は、常勤が一人だけということのみを主張しているわけではないのである。

勿論、科学技術記者クラブを、被上告人が重視するならば、常勤を二名以上にすることは当然であるが、他社では常勤以外に非常勤を最低三、四名、多いところで十数名おいていたのであった。常勤を一人しか置けないならばせめて非常勤を一人以上配置することは可能であるはずであり(常勤がいてもこのようにして多数の非常勤記者を配置して、いざという場合のためにやりくりしている会社は被上告人以外の会社で見られる、(ママ)<証拠略>)、他に非常勤すら一人も配置しないというのは、全く異常で、被上告人が上告人を科学技術記者クラブに缶詰にして長期有給休暇をとりにくくする意図を推認させるものである(<証拠・人証略>)。

因みに昭和四九年一一月頃は、常勤三人、非常勤一人、同五〇年五月頃では、常勤三人、非常勤一人各配置されていた。又、上告人が、科学技術記者クラブに配属される直前には、常勤二人、非常勤一人配置されていたのであった(<証拠略>参照)。上告人がこの記者クラブに配置される前には、常勤が二人も三人もいた、非常勤も一人は少なくともいたという過去の経緯からみても、何故、上告人が配置された時期に、常勤一人にしてしまったのかについて、被上告人の合理的説明は全くない。

原判決は、被上告人の主張を鵜呑みにして、「異例の人員配置ではない」というが、合理的根拠がない。

そもそも、他の記者クラブに被上告人が多数の非常勤記者を配置していること(<証拠略>)はいかなることであろうか。

差戻前、(ママ)控訴審判決の後、被上告人は、同じ記者クラブに実質上は非常勤である常勤記者を本来の常勤記者以外に、配置することすらしているのである(<証拠略>)。「企業経営上のやむを得ない理由」は全くなかった。

2 原判決が「年次有給休暇取得の観点のみから控訴人の右単独配置を不適正なものと一概に断定することは適当でない」という意味は不明である。

同業他社は「当時、科学技術庁には各社数人、おそらく、三、四人は最低置いておく社がほとんどだったと思うんですが、山口さんの場合は交代要員も全くいないというほんとにたった一人でクラブの任務を常駐させるというような常識では考えられないことだと思います」(<証拠略>)と指摘されているとおり、科学技術記者クラブへの一人のみの配置はどうみても異常であったのである(<証拠略>参照)。

原判決は「年次有給休暇取得の観点のみから控訴人の右単独配置を不適当なものと一概に断定することは適当でない」というが、本件裁判は通信社の経営的立場から多角的に人事配置を検討する経営セミナーの場ではなく、まさに上告人の有給休暇請求に対する被上告人の時季変更権の適法か否かを論じている事件であり「年次有給休暇取得の観点」を除いて論ずることはそもそも不可能である。

四 時季指定前の「事前の調整」

原判決は、上告人が時季指定の前に「十分な調整」を経ないで時季指定を行ったことをもって、被上告人の時季変更権行使を適法化する理由の一つとしている。原判決は次のように判示する。

「控訴人が当初年次有給休暇の時季指定をした期間は昭和五五年八月二〇日から同年九月二〇日までという約一箇月の長期かつ連続したものであり、控訴人は、右休暇の時季及び期間について、被控訴人との十分な調整を経ないで本件休暇の時季指定を行った」

これは、経験則(採証法則)に違反し、理由不備、理由齟齬があるといわなければならない。

1 まず法三九条三項但書の解釈、適用に当たって、時季指定前の「十分な調整」を要件とすることの法令違背なる理由は、すでに他で指摘したところである(第一の記述参照)。

ここでは、「十分な調整」が仮に必要であるとして、「十分な調整」をする余裕が充分ありながら、これを怠ったのは、被上告人であったことを指摘したい。

「控訴人は、昭和五五年当時、前年度の年次有給休暇の繰越日数二〇日を加えた四〇日の年次有給休暇日数を有していたので、同年六月二三日、関口実社会部長(以下「関口部長」という。)に対し、口頭で、同年八月二〇日ころから約一箇月くらいの有給休暇をとって欧州の原子力発電問題を取材したいとの申入れをし、同年六月三〇日同部長に、休暇及び欠勤届(同年八月二〇日から九月二〇日まで。ただし、所定の休日、時短休日を除いた年次有給休暇日数二四日)を提出した。

関口部長は、控訴人の右年次有給休暇の時季指定に対し、・・・控訴人に二週間ずつ二回に分けて休暇をとってほしいと回答した上、同年七月一六日付けで八月二〇日から九月三日までの休暇は認めるが、九月四日から二〇日までの期間(ただし、控訴人が休暇の始期を遅らせたときは、九月四日からその遅らせた日数だけ後の日から二〇日までの期間)に属する勤務日については業務の正常な運営を妨げるものとして、時季変更権を行使した。しかし、控訴人は同年八月二二日から同年九月二〇日までの間、欧州の原子力発電問題を取材する旅行に出発して、その間の勤務に就かなかった・・・」(原判決一六丁表裏)という経緯であった。

右の経過からみると、同年六月二三日に口頭で、すでに、上告人は、長期有給休暇取得について社会部長に申入れ、相談をしているのである。

当初の始期の八月二〇日までの間に二カ月もあった。通信社にとって、二カ月は相当の長期間である。この間に、上司の社会部長関口実が上告人との間で調整するには十二分に長い期間であった。むしろ長すぎる期間といってよいであろう。

ところが、関口社会部長は、それを怠った。このような場合、事前の調整を最もし易い立場にあるのは社会部長であることは誰しも否定できないはずである。まさか、上告人が、全社会部員の夏期休暇の都合を自ら聞いて歩いて「調整」することは、事実上不可能である。最も「調整」に現実的、有効な立場にあるのは社会部長であるが、彼は何もしなかったのである。公平上この責を、上告人に課するわけにはいかない。

2 続いて六月三〇日に、同部長に休暇、欠勤届を提出した(同年八月二〇日から九月二〇日まで。年次有給休暇日数二四日)。

この提出日から休暇の始期まで、ゆうに五〇日間はあった。この期間にも、社会部長に事前の「調整」をする気があれば、十二分に調整可能な期間であった。しかし、なおも社会部長は、これを怠ってやらなかったのである。

そして、安易に、七月一六日付けで、八月二〇日から九月三日までの休暇を認めるが、九月四日から二〇日までの期間(ただし上告人が休暇の始期を遅らせたときは九月四日からその遅らせた日数だけ後の日から二〇日までの始期(ママ))に属する勤務日については業務の正常な運営を妨げるものとして、時季変更権を行使したのである。

以上の経過の中で、八月一八日、二〇日の二度にわたって上告人の属する労働組合(労働者委員会)が、被上告人と団交を行ったが、この団交は、労働組合の側から上告人の休暇中のカバーのための代替要員の具体的氏名まで挙げて、上告人の休暇中の業務に支障を来さない旨の説明を行っているのであったが、被上告人は、これを理由なく拒否して、既定方針を頑なに維持して是が非でも上告人の本件休暇請求を拒否し処分する姿勢を貫いたのであった。上告人が「事前の調整」をしなかったとする原判決の認定は証拠に基づかない認定で経験則違反、理由不備、理由齟齬がある。

五 被上告人の「相当の配慮」

原判決は、上告人の本件休暇請求に対して、被上告人が「相当の配慮」をしているとして次のように判示する(二丁裏)。

「被控訴人の関口実社会部長は、控訴人の本件年次有給休暇の時季指定に対し、一箇月も専門記者が不在では取材報道に支障を来すおそれがあり、代替記者を配置する人員の余裕もないとの理由を挙げて、控訴人に対し、二週間ずつ二回に分けて休暇を取ってほしいと回答した上で、本件時季指定に係る同年八月二〇日(ただし、同月二二日に変更)から九月二〇日までの休暇のうち、後半部分の九月六日以降についてのみ時季変更権を行使しており、当時の状況の下で、控訴人の本件時季指定に対する相当の配慮をしている」。

原判決が、上告人の本件休暇請求に対して「相当の配慮」をしたことについては、原判決に経験則(採証法則)違反、理由不備、理由齟齬がある。

1 前述の通り、被上告人は、同年六月二三日、口頭で関口社会部長宛の上告人の長期連続有給休暇の時季指定を受け、休暇の始期まで二カ月間の余裕があったのに、何ら「事前の調整」をせず、さらに、書面で休暇、欠勤届が六月三〇日に提出されたにも拘わらず、社会部長は「事前の調整」をせず、漫然と月日をおくり、七月一六日付で時季変更権を行使した。

先ず「一箇月も専門記者が不在では取材報道に支障を来たすおそれがあり」というが、年間で最も業務が暇な時期を選んで上告人が提出したのであって、被上告人の立証をみても「取材報道に支障を来すおそれ」は遂に立証されなかったのである。

当時の被上告人の労務の最高責任者の安江良夫証人は、上告人の休暇を二週間に制限する理由について以下のように証言している。

「例えば、山口さんの代替要員を田中さんなり誰なりに考えた場合、その代替要員自身の本来の勤務だとか、あるいは休暇であるとかいったことの関係で二週間以上科学技術庁記者クラブに行かせるのが実際上不可能とか、あるいは困難なので二週間だというような事情があったわけではないのですね。

そうではないです。むしろ山口記者の代替を務めた田中記者、その田中記者が当時社会部内で行っていた仕事の事情、それから夏休み中で他の部員で休む者が多いという事情で代替カバーの点からすれば本当に休みが長期であってもらっては困るという事情はありました。しかし今言ったようなことから二週間は止むを得ないという判断をしたというふうに社会部長は言っていました。

例えば、山口さんの申請している休暇期間のうち三週間目に入ると具体的な原発に関する行事なりスケジュールなりが予定されていて本来の担当記者がいたほうがいいと、そういったスケジュールの都合で二週間よりも先になると困るというようなことでもなかったのですね。

それはないです。会社側としてはその間に大規模な原発事故が発生した場合のカバーのことを懸念しているわけです。

事故というのはいつ起こるか分からないわけですから二週間と区切る理由はあまりないと思うのですがね。

ですからそういう不完全なカバー体制、業務上の支障が生ずるかもしれない期間、その期間として会社は先程言った色々な事情から二週間までは致し方ないと考えるがそれ以上は困るという判断にたったわけです。」(<証拠略>)。

(人証略)も「いわば一人しかいない原子力の専門記者が一箇月も不在になっては、万一原子力事故などが起こったときに業務に支障が出る」ということであった(<証拠略>)。

このように、被上告人側の主張する理由は、「大規模な原発事故が発生した場合のカバーのことを懸念する」というように、原判決が判示する長期連続有給休暇に伴う業務の正常な運営阻害の「蓋然性」というものとも異なり、単なる「懸念」にすぎないものであって、業務に具体的支障が生ずることが客観的に予想されるというものでもない。起きるか起きないか判らない(というより、めったに生じない)「大規模な原発事故」のために労働者の有給休暇を否定しようとする論理であることは明らかであり、憲法一三条、二七条二項、労働基準法三九条一、二項など法が有給休暇請求権を認めている趣旨にてらし、到底許されるべきことではない。

2 原判決は「代替記者を配置する人員の余裕もないとの理由を挙げて」後半部分の時季変更権の行使を被上告人が「相当な配慮をし」たと擁護する。

しかし、この認識、評価は大きな誤りである。

(一) 被上告人の第一編集局についていえば、身近な部署で社会部の遊軍に田中里見記者がいた。彼が社会部長の指示で、上告人の休暇中、カバーし、特に問題はなかった。

むしろ前述した通り、発表等があった場合のみ、代替記者をその都度、記者クラブへ派遣するのが慣習であったにもかかわらず、田中記者を一ヶ月科学技術記者クラブに張りつけ、フルカバーさせたのは、それだけ被上告人の人員に余裕があったというべきである。

(二) 上告人の属する労働組合(労働者委員会)が、本件有給休暇を上告人の希望通り取得するために協力して、具体的に名前を挙げて、関係者の諒承をえて原子力関係のベテラン記者を応援させてカバー体制をとれると提案していたことは前述の通りであった。第一編集局という範囲で対処すれば(このような部際協力が常態であり、被上告人も奨励していたことは原判決も二〇丁前半で認めている)、全く問題はなかったのである。田中里見記者の協力が仮に得られなくてもカバーは可能であったのである。(<証拠略>)。

(三) 原判決の認定は、上告人の長期連続有給休暇をいかにして拒否できるか、被上告人の時季変更権の行使をいかにして適法化させるかに腐心しているかの如くである。

当時の社会部長関口実、労務対策最高責任者安江良夫が、第一編集局の実態をふまえ、上告人の本件有給休暇請求を受容する気になりさえすれば、全く問題は生じなかったのである。

その証拠に、上告人休暇中に、幸いにして、原子力発電所の事故などは全くなかったし、海外でも原子力発電所の事故は起こらなかった。すべて無事に済んでいたのである。

独り、被上告人だけが、当初から上告人憎しの悪意と憎悪に燃えていたためか、本件懲戒処分を敢行したのである。

この被上告人の計画的意図は、平成四年夏期の上告人の一カ月の長期連続有給休暇取得に対する懲戒解雇(平成四年九月九日付)という暴挙によって完結したのである。本件についての被上告人の不当労働行為性については別に主張する。

(四) 被上告人が、上告人の本件有給休暇請求に対し、真に「相当の配慮」をしていたならば、上告人の本件長期連続有給休暇は難なく取得できていたはずである。

上告人と同じ労働組合(労働者委員会)に属する梅本浩志や長沼節夫も同じ頃、約一カ月間の長期連続有給休暇を取得していた。上告人だけが専門性とか、非代替性とかを理由にして取得できないはずはなかったのである。

なお、梅本、長沼両記者が右連続休暇を請求したのは、休暇に入る一二日前(<証拠略>)で、上告人に比べるとはるかに遅かった。両記者は請求にあたり何らの「事前の調整」もしなかったが、被上告人は休暇を承認した。またこれまでに被上告人において長期連続休暇を取得した十数人の社員のいずれも休暇に入る二週間から一週間前にしか時季指定しておらず、誰一人として「事前の調整」をしていない。にもかかわらず、なぜ上告人に対してだけ事前調整の必要性が求められるのであろうか。

原判決はこれらの事実を全く考慮せず、「事前調整の必要があるのに十分しなかった」として上告人敗訴の判決を導き出している。同判決はこの一点においても不当極まりなく、破棄を免れない。

上告人自身、同じ長期連続有給休暇を差戻前控訴審判決(昭和六三年一二月一九日)の後、平成二年(一九九〇年)、同三年(一九九一年)の各夏期においてそれぞれ無事に取得してきていた。

被上告人は、上告人の長期連続有給休暇請求に対して、平成三年までは、異議なく、容認してきたのであった。しかも、この間、上告人所属の記者クラブにおいて格別の支障は生じなかった(もし支障が生じていれば、被上告人は、間髪を入れずそれを理由にして上告人は(ママ)新たに懲戒処分を行ったはずであった)。

問題は、被上告人の対応にすべてがかけられていた。上告人の有給休暇請求に対し、被上告人が「業務の正常な運用を妨げられる」ことを理由にしていいがかりをつけて、拒否しようとすれば、いつでもできたのであった。原判決が、被上告人の「相当の配慮」を認めたのは、経験則(採証法則)違反、理由不備、理由齟齬といわざるをえない。

六 賞与減額支給をめぐる労働協約等の不存在

原判決は、一七丁表において

「成立に争いのない(証拠・人証略)並びに弁論の全趣旨によれば、前記けん責処分は被控訴人の職員就業規則に基づく職員懲戒規定四条六号により、また前記賞与減額支給は被控訴人と労働者委員会等との団体交渉に基づく欠勤者に関する支給規定によってなされたことが認められる。」と述べ、また二八丁裏から二九丁表にわたって

「また原本の存在及び成立に争いのない(証拠略)によれば、被控訴人と労働者委員会との間において昭和五五年末賞与等について欠勤日数に応じて一日当たり支給額の一八〇分の一を減額するとの労働協約が締結されたことが認められるから、被控訴人がこれに従い、同年年末賞与支給に際して控訴人の賞与を四万七六三八円減額したことも正当なものということができる。」

と述べる。

しかし、この賞与減額についての労働協約については、労働者委員会と被上告人との間においては団体交渉もなかったし、労働協約の締結もなかったのである。

原判決の事実認定は、経験則(採証法則)に違反し、理由不備、理由齟齬の事実認定を行っているのである。

このように原判決の事実認定は、結論を急ぐあまり総じて杜撰である。

原判決は破棄されなければならない。

以上

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